人が災害に備えない、または備えても不十分にしか備えない原因には
人が判断に用いる2つのシステムのうち1つが大きく関わります。
その2つのシステムとは
「論理的システム」と「直感的システム」のことを指し
特に「直感的システム」が不十分にしか備えられない人の行動の原因に大きく関わっています。
これらのシステムにある心理バイアスを分類すると
- 近視眼的思考癖
- 忘却癖
- 楽観癖
- 惰性癖
- 単純化癖
- 同調癖
の以上6つになります。
以下ではこれらのバイアスについて少し掘り下げて紹介していきます。
Contents
近視眼的思考癖
将来得る利益は減ずる
次のような質問を考えてみましょう。
今、1万円もらうか
1年後に1万2千円もらうか
選んでください
こう聞かれたら多くの人は前者を選ぶでしょう。
しかし、
1ヶ月後に1万円もらうか
1年1ヶ月後に1万2千円もらうか
選んでください
と言われると多く人は後者を選ぶようになります。
(どちらも「より2千円もらえる」という点は同じなのに)
このように人には
より現在の価値は高く
より将来の価値は低く
見積もる傾向
があります。
これにより人は防災対策を
することによって得られる
「命が助かる」などの「将来得られる利益」
を大きく減じてしまいます。
つまり将来のための「投資」の価値を人は正しく理解できないわけです。
もう一つの原因:時間解釈
近視眼的思考癖の原因はもう一つあります。
それは
心理的距離が遠いほど
抽象的で本質的な目的を問うような
高次で観念的な解釈がされるのに対し心理的距離が近い場合は
具体的で周辺的な方法を問うような
低次で現実的な解釈がなされる。
というものです。
ここでの心理的距離とは
時間的距離、空間的距離、社会的距離などを指します。
先の説明ではわかりづらいと思うので次のような具体例を考えましょう。
あなたは1ヶ月後に京都へ
旅行に行くことにしました。
その時は京都で観光したいと思っている場所を思い浮かべ
京都観光の魅力で頭がいっぱいになっています。
しかし、旅行出発日直近になると
きっとあなたはキャリーバックに
荷物を積めることをめんどくさく感じ始め、
やっぱり旅行なんて
するんじゃなかった
などと思ってきます。
これが先程の説明で述べていることです。
災害対策の例で言えば
「将来のいつか」に行う防災対策は
抽象的なためとても魅力的に聞こえます。
だから
今から1ヶ月以内には
防災対策を行いますか?
と聞けば、多くの人は
「はい」
と答えるでしょう。
しかし、
今日中に防災対策を
行いますか?
と聞かれると多くの人は
曖昧な返事をすると思います。
そして結局「防災対策の先延ばし」が起こり
いつまでも「将来のいつか」はやってこないことになるわけです。
忘却癖
災害時の感情はすぐに忘れる
災害というのは大抵前例があります。
しかし多くはこの「忘却癖」があるために過去から学べません。
ここでいう「忘却」とは、何も
「過去にあった災害そのものを忘れる」ということではないです。
むしろそれはよく覚えています。
忘れてしまうのは
災害があったという事実ではなく
その災害がもたらした
精神的な痛み
のことです。
そしてこれは早くに忘れられます。
災害時の感情が色あせてしまうので
結果として災害対策への動きも弱まっていくことになってしまうのです。
対策しないことによる報酬がさらに拍車をかける
さらに厄介なことに防災対策は
それを行う場合よりも
行わない場合の方がより「報酬」をもたらし
これがより拍車をかけます。
これを台風への防災対策を
例として考えてみましょう。
この時防災対策をする人は
「いつかの将来に来る台風」
のために防災対策をします。
しかしそれによる報酬は
すぐに得られるわけではなく
災害自体が滅多に起きないのでそのありがたみを感じることは少ないでしょう。
しかも仮に台風が直撃して
その備えが役に立っても
それを報酬とは感じられないはずです。
反対に台風への防災対策をしない人は
ほとんどの場合で台風の被害を
受けることはないので、台風が来るたびに
防災対策に多くの費用をかけている人を見ては
あの人たちと違って自分は
台風の被害を予測し
無駄な投資(防災対策)をしないという
賢い選択ができた
と悦に浸ることになります。
このように防災対策をしない人にとってはそれが「報酬」として機能してしまうわけです。
先にも述べたように「被害を被る場合」よりも
「被害を被らない」場合の方が圧倒的多数なので、上の2つの場合のどちらに転びやすいかは言うまでもないでしょう。
そしてこれにより忘却癖は
悪い方向に加速されます。
楽観癖
利用可能性バイアスの存在
この楽観癖を説明するにあたり
まず「利用可能性バイアス」というものの存在を知る必要があります。
利用可能性バイアスとは
特定の事象の起こりやすさを
イメージしやすいかどうかで
判断する傾向
のことを言います。
そして災害で被害に会うのは「自分」より
圧倒的に「どこかの名も知らぬ他人」である場合が多いです。
そのため、他人が被害を受けている様子はイメージしやすく
自分が被害にあっている様子はイメージしにくいです。
その結果
「自分は大丈夫」
という楽観思考になってしまいます。
複合バイアスの存在
さらに楽観癖をもたらすものとして
「複合バイアス」というものが存在します。
これは
長期的に見れば
比較的高い発生確率がある
危険な出来事でも、
今すぐに起こる可能性は
低いことに過度に
注目してしまう傾向
のことを指します。
例えば次のような調査結果があります。
引用元:
https://weathernews.jp/s/topics/201903/080185/
この画像からは大半が30年内に地震が起こると思っている人が大多数を占めていることがわかります。
しかし、このアンケートを答えた人と同じ人に
明日(または今日)地震が
やってくる可能性は?
と尋ねるとその可能性ははるかに下がるでしょう。
ここに「複合バイアス」が現れるわけです。
(正しくは「いつかはわからない将来に必ず地震が起こる」と考えるべき)
このようにして「楽観癖」がもたらされ、
災害が多分起こると考えながら
そのための個人的な防災対策を少ししか
あるいは全く行わない、という矛盾が起きるわけです。
惰性癖
1つ例えを上げましょう。
今、あなたの目の前には普通の
「コカ・コーラ」と「ペプシコーラ」という
2種類のコーラがあります。
この2つのコーラのうち
どちらかしか選べないと言われたら
どちらを選ぶでしょうか。
おそらくどちらを選ぼうとも得られる結果や満足感は同じようなものでしょう。
このような時、論理的な判断に頼っていては
いつまで経ってもどちらを選ぶべきかは考えど考えど出てきません。
このような時にはすぐ簡単に済む
直感的な判断が現れ、それによって
「最初に目に入ったコカ・コーラ」
というように
初期設定的な判断
が行われます。
つまり論理的に考えて答えが出ない場合には
直感的に初期設定を選んでしまう
というわけです。
では災害対策についてはどうでしょうか。
災害対策を論理に従って考えると
- 避難経路としては
どのルートを確保すべきか - 避難時のために何を備えているべきか
- 停電に見舞われてたら何を第一にすべきか
などなど考えるべきことはたくさんあります。
そうしていつまでも答えがまとまらないと
直感的な判断が現れるわけです。
その結果「初期設定」、災害対策の場合
「何もしない」
という結論に落ち着いてしまいます。。
単純化癖
個人的な災害対策において
全くやらないわけではないが
明らかに不十分(不完全)な災害対策で終わっている人がいます。
このような現象を引き起こすのが
単純化癖
と呼ばれるものです。
これは、人の脳は
その場で重要そうに見え
注目に値すると思われる
手掛かりだけを
考慮する傾向がある
ということを意味しています。
例えば、ある人は「論理的な思考」を駆使して
「災害対策としては避難経路を
頭に入れておくことが大事だ」
と考えたとします。
この判断自体は間違っていませんが、不十分です。
しかし、この人には単純化癖によって
「避難経路の確保」しか見えなくなります。
そしてその対策を行うだけで(不十分であるにもかかわらず)
「十分に対策を行い
必要は満たされた」
と感じてしまうわけです。
このように「直感的な思考」ではなく
「論理的な思考」を駆使したとしても
このような災害対策の負のバイアスは発生します。
群衆への同調癖
これまでは「個人の災害対策」として様々な心理的バイアスを紹介してきました。
ではこれらを解決するためには
個人の力ではなく集団の力にはたよることができないだろうか、というのがここでの議題になります。
そして、いきなりですが
残念ながら答えは否です。
群衆になると今まで紹介してきた
「心理的負のバイアス」はなくなるどころかむしろ増幅されてしまいます。
というのも、あるバイアスに囚われている人は群衆の中の
自分と同じバイアスに
囚われている人
しか見えなくなるからです。
その結果より災害対策が不十分なコミュニティが広がっていくわけです。
参考:ダチョウのパラドックス 災害リスクの心理学
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